ぼっち系ブロガーの現代メディア考察

土曜の朝である。

ひと昔前の休日といえばギターを担いでスタジオに篭っていたように思うが、最近は事情によりバンドをほぼ組んでいない。それは決して忙しいからバンドをやらないのではなく、なにか急な予定が入ることを懸念してバンドをやっていないのであるから、必然的にこのような暇な休日がたくさん手に入るのである。

 

そのような余暇をどうすごしているかというと、もっぱら喫茶店に篭り、Youtubeをひたすら観まくる、という過ごし方をしている。

 

Youtubeを観るだけだなんて、よくそれで何時間も過ごせるね」と思われがちだが、今の私の人生の大半をこれに費やしているのではないかというくらいYoutubeを観ている。無料だしね。

 

最近、好きな“ユーチューバー”ができたので、オススメしたい・・・わけではないが、ここは私のブログなので、私の好みをただ書きなぐることに対して、なにも批判は発生しないはずである。

 

「スーツ」さんという、通称「鉄道系ぼっち系ユーチューバー」と言われているかたである。

 

彼は幼少期からの“鉄ヲタ”が高じて、今や毎日のように全国の列車に乗りまくり、その様子を淡々とレビューするという動画を配信している。

 

youtu.be

 

また、鉄ヲタ向けのチャンネルだけでなく、旅が好きなひとに向けて鉄道知識を排除した旅のチャンネルも設けている。そして後述するが、彼が自分の持論を述べたり、逆に無意味で破天荒な行動(スーツを着たまま平然と風呂に入る等)をする動画を配信するチャンネルもあり、鉄道・旅・その他、というように3つ運営している。

 

彼は現在、横浜国大に在学中であり、卒業後も就職することなく、しばらくはYoutubeの広告収入などで仕事をしていくというような発言をしている。もっともこれは、流行りのユーチューブでたまたま儲かったからそれを継続するという短絡的な行動ではなく、経営学会計学を学び、また、Youtubeでの“仕事”を通じて得た知識などを活用してビジネスを行っていくというスタンスのものである。

 

動画をご覧いただければすぐに分かるが、“ヲタ特有”の喋り方で淡々と鉄道の知識を説明していく様子は、最初はギョッとしたが、慣れてくると心地よくなってくるのである。またその理路整然とした口調で最近では「国民と政治の関わり方」や「ハロウィンの渋谷での若者の行動に対する批判」等について持論を述べている。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

テレビではなくYoutubeだからこそ、「ヲタク的な喋り方」や「センシティブな内容への斬り込んだ話」が成立しており、それに共感できた途端、この動画を閲覧することは、ただ動画を観る時間に費やすことを意味するのではなく、自らの人生においても様々思いを巡らせる時間となるのである。

 

**********

 

テレビとYoutubeの比較は最近でも「メディアの在り方」というような視点で様々議論が交わされている。

 

どちらが優れているというにはまだ議論が醸成されていない段階だと思うが、少なくとも「若者のテレビ離れ」は現実として発生している。Youtubeは好きな時間に好きな映像を見れる、という形態の優位性があることはその要因のひとつであるが、内容が形成されていく過程の差異について考察することが、両者を比較するうえでより本質的であると考える。

 

キングコングの梶原氏は最近テレビで以前より見かけなくなった。もっぱらユーチューバーとして人気を博しているようである。

 

数ヶ月前、テレビ番組の“アメトーク”にて、梶原氏(カジサック)が「テレビでなくYoutube」への出演に重きを置いていることを、相方の西野氏が「テレビではなくクラウドファンディング」でのビジネスに重きを置いていることと重ねて、“意識高い系”のような一括りで、「テレビに重きを置いている」芸人さん達にイジられる、という様子がテレビで放映された。

 

上の文章、回りくどいうえに、色付けまでしている意図を読者の皆さまは汲んでいただけたであろうか。

 

Youtubeというのは御存知の通り、ひとりで動画を作成して、ひとりで好き勝手しゃべって、すぐに全世界に配信できる。先ほど紹介したスーツ氏も、今や会社という形態をとっているものの、基本的に彼の意見がそのまま100%動画に表れる形態で動画を作成している。

 

ところが、テレビ業界はどうだろうか。出演者、カメラマン、ADさん、プロデューサー、テレビ局・・・そしてテレビ局と繋がっているスポンサー、スポンサーと密接に利益を共有している国家機関と、多くのひとが関わっている。

 

そうすると当然、出演者が主張したい内容が100%放映されるかといえば、それはほぼ不可能であり、出演者以外の誰かによる潜在的なメッセージが裏に隠れていることも、また事実のようだ。

 

事実、私はテレビでの梶原氏の取り上げられ方を観て、「なんて破天荒で意識高い系を気取っていて梶原氏は調子に乗っている」と思ってしまったが、実際に彼の動画を観てみると、とても現代にマッチしているスタイルで、内容も面白いことが分かった。誰かが表現した一面的な意見だけで、自分の気持ちを決めつけてしまうのはよくないと、反省した。

 

*********

 

梶原氏の動画は少ししか観ていないのであるが、現段階で素晴らしいなと思った点を、備忘録として残しておこうと思う。

 

テレビにおいて、司会者と出演者という構図はあるものの、ひな壇に並ぶ芸人さんはその場で繰り広げられる瞬間をどんどん面白くするという目的で、自分の笑いの能力をぶつけているという構図がスタンダードであると思う。

 

梶原氏もかつてはそのスタイルでお笑いの世界で大成していった。(お笑いにはあまり詳しくなく、私はミーハーに千鳥が大好きである。)

 

ところがYoutubeでの彼はどうだろう。インパルスの堤下氏や極楽とんぼの山本氏など、“話題”のひとをゲストに呼び、話題のタブーネタをメインに喋らせるでもなく、普通にゲストの面白さを引き出している。

 

話題の彼らがテレビになかなか出演できない理由は先述の通り、テレビには様々な関係者がいて、その関係者の誰かにも迷惑を掛けられないという状況を鑑みると、リスクの高い出演者は必然的に出させない方向で動いて然るべきである。

 

ところがYoutubeは、そういったタブーがない。公序良俗に反しない限り、基本的に作成者が好きに作成できる。

 

動画のなかで梶原氏は、テレビの黄金期に活躍した堤下氏や山本氏が持つ芸人としての力量をいかんなく発揮できるよう、聞き手にまわり、かつての輝きを引き出していた。同時に梶原氏自身は、テレビで面白いことを話す能力でなく、Youtubeで聞き上手になる能力を活かし、新しいビジネスをしている。

 

*******

 

現代社会では生き方の多様化が進み、個人が新しい楽しみを見つけられる反面、同時に多様化による孤立という現代病を生み出している。

 

そんな中、私は“ブログ”などという古典的で拡散もしない媒体を使って自分の意見を述べている。こんな話を好き好んで聞いてくれるひとは稀であるということを、とっくに熟知しているからである。孤独という現代病である。

 

土曜の午前、頭の中をスッキリさせるための自己満文章作成にお付き合いいただき、最後に読者の方々に感謝を述べさせていただく。